70 生きることをどう見るか
(昨日の話から続く)
本来それは恵みであり、喜びである、という考えを更に押し広げると、生きることそのものもそうなのだということに気付く。
どんなに不遇な人生だとしても、卵細胞の最初の細胞分裂を、敢えて特定の感情に分類するとすれば「喜び」であったに違いない。
悲しみや怒りから細胞分裂はしないだろう(勿論、ここで言うのは癌細胞のことではなく、生命のその始まりのことである)。
つまり、生きることは喜びから始まった。
その後色々と難しいことが積み重なって、生きることが苦しみになったかもしれないが、苦しみという砂を取り除けば、やはりそこには時の始まりから変わることなく、今も「喜び」と書いてある。
そのことを日々思い出すことから私は一日を始めるようにしている。
そしてそのことで一日を振り返り、一日を終えることにしている。
嫌なこと、不快なことが起きた時も、その「砂」の向こうに喜びがあることを決して忘れないように努めている。
結局、何を思うか、いかなる思念のために脳を使うかは、完全に私の自由なのである。
チェロを弾きながら恵みを喜ぶことも、難しいと身構えることも、私次第なのだ。
人生にどのようなことが起きても、そのことに不満や不安を覚えるのではなく、「それでもこうしてこの美しい世界に生きている。それ自体が有り難いことなのだ」と私は考える。
すると、世界は確かに美しいものであることに気付く。
美しいから、有り難くて、有り難いから、美しい。
こうしてすべてが良い方に向かって回り始める。
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