73 人生を映画と見る
年内最後の満月である。
色々あったなあ、と思う。
月が満ち欠けし、太陽の周りを地球が巡るたびに、何かが起きていた。
それが何であるかを知ることは重要ではない。
しかし「何かが」起きていたことを知っていることは、とても大切である。
それは、自分に間断なく注いでいる宇宙からの力の働きを日々感じて生きるということでもある。
つい、見えるもの、目先のもの、自分に関わるもの、その利害や損得に心が向かう。
そして引き換えに、大きく物事を見ることを忘れる。
全体の中で生きていること、生かされていること、この瞬間が恵みであることを失念し、昨日のことや明日のことを思い煩い、大切にすべきものを粗末にする。
そういう生き方をしているから必然的に苦しいのに、この苦しみの原因はあの人やこの状況だ、などと思い違いをしたりする。
この状況が良くなればいいのに、などと欲深いことを言う。
このような間違いをずっと犯してきた。
有り難いことに遂に完全にやめることが出来た。
この2年間の苦しみは、そのために必要だった。
でも、だから前が悪かったというのではない。
前は損をしていたというのもない。
単に物事の起こりには順序があるだけのこと。
愚か者しか学べない。
学べる幸せを味わうには、事前に愚かでなければならない。
だから愚かであることは、のちの幸せのための必要条件だったのだ。
そういう作りの物語だったのである。
ローリー寺西はこう言った(だいたい)。
…自分の人生を映画と考える。
最後に「いやあ、いい映画だった」と思える映画を生きてみたい。
苦しみからの大逆転も、どん底からの飛翔も、すべては良い映画を構成する演出である…
「もう一人の私」は、ずっと私にそう語りかけていたし、あなたにもそう語りかけている。
今日は双子座満月です。
ヒーリングのお申し込みをお待ちしております。
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