163 こだわり
どうも分かってきたことがあります。
「こだわりを捨てる」ということが、人生に求められている最優先課題であるようです。
でも誰も、自分が何事かにこだわっているとは自覚していません。
「だって、そういうものでしょう?」の一言で不問になっているのです。
その決めつけこそが、こだわりの正体です。
最近、素晴らしいお便りを頂きました。
「明日は街角ピアノ(アーケード商店街に置かれたピアノを自由に弾ける) の日らしいので簡単な曲を弾きに行きます。ピアノに触るのは20年ぶりくらいです。不特定多数の人が通る場所で弾こうなんて、病気にならなければしなかったことです」
翌日、
「河邊さん、おはようございます。
街角ピアノ、弾いてきました!
やってみて思ったのは、自意識過剰だったーということでした。
街角ピアノって、暗譜でクラシックとジャズっぽい曲を、 サッと来てさらっと弾いて帰って行く、というイメージだったので私は超簡単な曲だし、 簡単な曲なのに間違えたら恥ずかしいなと思っていました。
ひとの多い3時くらいだったのですが、ほぼ素通り。
誰も気にしてません。
ピアノ弾いてるねーくらいの感じでした。
人の目を気にしすぎないでいいんだ、と思えました。
来月も練習して挑戦します。」
人の目を気にする、なぜかと言えば、恥をかきたくない、恥なんてかいたらいけないものなんだ――、という考え。
これが、こだわり、なんですね。
ね。
まさかこれがこだわりだなんて、事前には分からないんです。
捨ててみたらやっと「こだわりだったんだ」と分かるんです。
ですからここに膨大に課題があり、同じくらい、それを超えたあとの可能性があるのです。
今日もお読み下さいましてありがとうございました。
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