165 雨の日の話の続き
泣いている子供を遠くから見ながら、私が思っていたこと。
それはいくつもあるのですが、どうして人々はこんな時、少しでも力になってあげようとしないのだろう、そもそも、あのような光景が少しも問題ともその目には映らないのだろうか、ということでした。
でも私は、この子供は人生のこんなに早い内からなんと大きな絶望を体験していることだろうと思い、誰かが手を差し伸べるべき状況だと考えました。
そんな時、もちろん、試みが失敗したり迷惑がられたり、場合によっては面倒を起こすリスクが頭をよぎります。
余計なことはしないで立ち去った方が賢明かもしれない、とは、一瞬思わないではありませんでした。
これについては明日お話します。
それからこうも思いました。
見るからに、気の毒なのは子供です。
でもあの子がもしかしたら自閉症だとしたら(以前そういう映画を観たことがあるのですが)、父親が消耗しきってあんなふうに心が凍りついていたとしても、責められることではないと思うのです。
そうではなかったとしても、子供、それぞれにいろいろな個性があります。
私自身もそうですが、誰に話を聞いても、家庭内の苦痛の体験は、家庭が閉鎖的空間であることによって起きているようです。
そこに他所から誰かの手や言葉が入れば、多少なりとも希釈されたであろうものが、「これしかない」という現実として高濃度化して、全身を蝕んでしまうのです。
限られた時間、私がそこに入っていったからといって、何かが変わるとは勿論、期待できないことです。
そんな自惚れはしていません。
でも私のような人間がこの先も時々現れれば、やがて変化は起きるかもしれないし、少なくとも父親にも子供にも、ほんの一瞬でも緊張を緩めたり、苦しみを逃がす助けになると思います。
というか、私はそう信じます。
だから私はその何人か現れる人物の一人になりたいと思いました。
「こんにちは。
電車乗りながら、今朝のブログ読ませてもらったんですが...泣きそうになりました😭
最近涙もろくて...😭あんな文章読んだら、防御してる壁の隙をついて、フッと心に入ってきて泣いちゃうじゃないですか😭(電車の中で泣くのは、流石に恥ずかしいですわ(笑))
周りの人にあんなに優しく生きていたら、カワベさん、大丈夫なんだろうかと少し心配になりました😢でも同時に、それがカワベさんの生き方なんだろうなとも思いました」
心に沁みる温かいご感想をありがとうございます。
こういった気持ちを共有して頂けて、とても嬉しいです。
今日もお読み下さいましてありがとうございました。
本日は春分です。
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