160 喜びと悲しみと
今日は2つ記事があります。
もう一つのの記事もお目通し頂ければと思います。
数回、喜びについて書きましたが、しかし常に喜ぶというのは不可能だと思いますし、またそうする必要はない、というか、逆にもし常に喜んでいたとしたらそれは不健康なことだと私は思います。
夜があって昼があり、冬があって夏があるように、心にも色々な時間、領域、体験があります。
ふと先日思い出したのですが「人は悲しみが多いほど、人に優しく出来るのだから」と昔、武田鉄矢が歌っていました。
これは裏を返すと、人に優しく出来るようになるためには、沢山悲しまなくてはいけない、ということです。
幸せなだけでは、他人の不幸せが分かりません。
ヒーラーとしての経験から、他人の不幸せを分かってあげられるだけの感受性を持っていることは、私にはとても有り難いことだと思えるのです。
なぜだかは、知りません。
落ち込んだ時、「喜びの眼鏡」をかける、と何回か前に書きました。
すると、落ち込むのはいけないことだ、と思われたかもしれません。
しかし言いたいのはそういうことではないのです。
落ち込む時は落ち込んで、もう何もかも駄目だ、と思って、それから何時間とか何日とかして、
「そろそろ喜びの眼鏡をかけるか…」
これで良いというか、そうあるべきだと思うのです。
すべて、より良い自分を作るための大切な体験です。
悲しみや苦しみを「要りません。喜びしか見ませんので」というのは、私には「夜の暗さなんて要りません。LEDがありますから」というのと同じように、貧しい考えだと思われるのです。
悲しさや苦しみなんて、ない方がいいです。
でもやっぱり必要で大切なものだから、あるのです。
今日もお読み下さいましてありがとうございました。
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