196 人生という映画
自分の見たい世界を保つ、ということもまたとても大切なことで、よくよく考えてみると、人生とは、その「見たい世界」を保てなくなるような事象に対処する連続のように思われます。
どういうことかと言うと…
例えば私は人と争いたくないんですよね。
でも目の前に、争い好きの人が現れることは、ままある。
そんな時、私は、その存在に注意を引っ張られることなく、無視することにします。
というのは、私の人生という「映画」にふさわしい登場人物ではないので。
そぐわない登場人物とか役者が現れると、映画の質が落ちてしまうのです。
自分の人生という映画をよく保てるのは自分だけなので、こういう考えの人は私は関わらないようにしているんだよね、と判断すれば、そのように実行します。
行動を改めてもらうようにお願いすることはしません。
大きなお世話なので。
合わなければ合わない。
それだけの話。
こっちが正しいとかあなたは間違っているとか、そういう話ではないので。
難しいのは、では自分はそもそもどういう映画を観たいのか、どういう映画であってほしいと思っているのか、そこが明らかになっていないことです。
このためには試行錯誤が必要で、ああ、こういう登場人物は嫌だ、みたいなことを消去法的に学んでいかないといけません。
そして一通り分かったら、あとは正しく登場人物の選定を続けます。
ここは心の強さとしなやかさを求められる所ですが、出来るようになるにつれて、どんどん楽になるのを感じます。
明日18時半から瞑想会(1000円)をしますので、よろしければ。
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