258 読者からのお便り
今日は夏至です。
ヒーリングを、よろしければ是非。
・・・・・・・
読者からのお便りをご紹介します。
「こんにちは。
本日ふと気づきがありましたのでシェアさせてください。/
(「/」=中略)
彼女(友人)はご自身の息子さんがアスペルガーと自閉症気味ということで、
数多くを経験し、学び、自分の体験から物事を見ています。/
それは人間であればそうなると思います。/
その体験はリアルで、目の前で起きたことだから疑いようがない/
それは、それ以外の目線を持つことを、奪うことでもある。
私もそれと同じことを知らず知らずのうちにやっているなと思いました。
毒親体験が自分にとってリアルであるから、
その体験をどこかでベースにして、
人からの悩みを聞いたり、想像したりしている。
そこに目線を引き寄せてしまうのです。
ただ、河邊さんはそれが、ないんです。(←よくぞ気付かれました。)
相談相手の問題を、
そのままニュートラルな位置から見つめて、
そこに対してニュートラルに助言されている。
改めて、すごいと思いました。
そういうことが人間はできるんだと、
見本を見させていただいていると思います。
そして、「自分の体験のリアル」にハマってしまってはいけないと思いました。
毒親を経験したことがない人が、
毒親を想像できないのと同じように、
私も毒親を経験しているから、
そこからしか見えない世界観を持ちかねないと気づいたのです。
以前、河邊さんがおっしゃっていた、
相手「○○なんだよね」
私「そうなんだ」
と素直に反応する心というのは非常に高度であり、
でもできなくはないことなんだなと改めて思いました。
お読みいただきどうもありがとうございました。」
これは本当に素晴らしい気付きですよ。
また、長年自分が示してきた態度が深く伝わったことが分かり、
私は読んでとても嬉しくなりました。
ありがとうございました。
コメント
どこまで私が理解出来ているかは懐疑的ですが、私は人の話を「自分の体験による主観」で「勝手に解釈」している癖が取れないのですが、河邉さんにはない実例ですね。
これは人付き合いにおいて、余分なエネルギーを使わないようにしたい私にとって素通りできない内容です。
河邉さんのように高度な視点で物事を捉え対応していくには、ある日の気づきを境にできるものなのでしょうか?
それとも、丁寧に自分の過去と向き合い、一つ一つの思考の癖を見直し、少しずつ変わっていけるものなのでしょうか?
願わくば、心も口も静かに、ただ微笑む人間になっていきたいものです。
振り返ってみますと、ある日を境に、かもしれません。だんだん客観的になるのではなく、「今後、人の話を聞く時には主観的に反応、判断しないぞ」と心に決めればそれに従える気がします。私は仕事を通して、人の深い悩みや苦しみを聞くようになったので、その決心がつきました。ですから大事なのは、主観的反応には限界があること、それでは相手の心を慰めることは出来ないことをはっきりと自覚することなのかもしれません。