『アイスの国のバニラ姫』
先日『いのちの星のドーリィ』についてお話したが、今日はまた別のアンパンマンの映画作品『アイスの国のバニラ姫』についてお話をしてみよう。(2019年作品)
この作品を観て私はつくづく、人の悩みは世につれ、だな…と感じた。
どういうお話かと言うと、ある所にアイスクリームの国がある。
そこの姫にはアイスクリームを作る使命があり、大臣の監督の下、日夜練習に勤しんでいるがいまだ成功していない。
嫌になって王国を飛び出しアンパンマンの町に至る。
そこでバイキンマン絡みで色々あって、最終的にアイスクリームを作れるようになることで諸々の問題が解決される、という顛末なのだが、この姫がなぜアイスクリームを作れなかったというと、そこに喜びがなく、悲壮な使命感しかなかったからなのだった。
どんなに頑張っても、彼女の魔法のスプーンからはアイスクリームも一欠片さえ生まれ出ないのだった。
いくつかの会話を通してバニラ姫は、自分には〈したいこと〉がないこと、〈すべきこと〉しかないことを自覚する。
そして、したいこともなく、すべきことも出来ない自分には価値がない、と彼女は感じる。
印象的だったのは「ここの皆は楽しそう…」と姫が呟くシーンである。
これはアンパンマンの歴史として、なかなか無視し難いものではないだろうか。
というのは、アンパンマンの世界では皆が楽しんでいるのは当たり前すぎるほど当たり前のことで、そのような状況に対して驚くような者はかつて誰一人としていなかった(これまで観た限り)。
バイキンマンだって、自分の悪行を心から楽しんでいる。
言うまでもなく、姫のこの独白は、この数十年間の日本人の精神世界の変質を映しているものだろう。
私が子供だった頃のアンパンマンには、自分自身の価値を問う、このような内面的な問いはなかった。
誰もその内面において虚無ではなかった。
時代につれ、アンパンマンの世界も変質してきているのだなあと感じた。
決してこの映画作品にケチをつける訳ではなく、こんな問い自体が子供の心に生まれない世界になってほしいと思った。
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