51 無意識の導き
『最後の教え』という響きも相まって、総集編などということをするからにはカワベはどこかに行ってしまうのだろうか、と危惧された。
そういうことは具体的な考えとしてはないのだが、何が起きるかは分からない。
すべて無意識の導くままに生きている。
私はほぼ2年間、低迷していた。
普通、こういうことを言うと心配される。
もちろん心配して頂けるのは有り難い。
でも、さあ学んでもらおうか、意識くんよ、と思えば2年くらいはどっしりと腰を据えて人生を追い詰めていくのが、例えば無意識のすることなのだ。
だから大変と言えば大変だが、目的があるはずのことだから大丈夫と言えば大丈夫…
とは言え、言うほど簡単なことではない。
よくその状態で正気を保っていられるね、と友からも言われた。
本当に、とんでもない状況だった。
以前の自分だったら、パニックになっていたに違いなかった。
こうして段階的に、無意識の手管に慣れていくのだ。
しかし繰り返すが、手法が分かったからと言って、対応するのは難しい。
その期間中に心の中で起きていた変化、地下に向かって伸びていった根がどのようなものであったかということを説明するのはほとんど不可能である。
しかしそうこうしている内に、無意識の地下世界で、次なる道が仄めかされるということが起きる。
それが何であるかは分からないが「次」が来る。
「次に踏む一歩」は、同時に「その前に踏んだ一歩」を作り出す。
そういう訳で、『最後の教え』を書いたのだった。
ね、込み入りすぎているでしょう。
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