83通目の手紙 人生の指針となる言葉#7 ルワンダ内戦の生還者(1)
人生には順風の時もあれば逆風の時もあります。
順風の時には調子に乗って羽目を外さないように、逆風の時には目先の苦難に視界を奪われて挫けないように、私は集めた言葉を時々見返します。
前提として、著者は敬虔なキリスト教徒です。
キリスト教といえば「汝の敵を愛せ」です。
しかし、自分の家族や仲間を殺し、いま自分を殺そうとしている人たちを愛することなどできるのでしょうか。
著者は絶望的な恐怖と、文字通りに命がけの救済願望の中で、激しく葛藤しました。
祈りの中、悪魔の声が聞こえてきました。
「おまえの中に、あの殺人者たちと同じ憎しみがあると思わないか。おまえは彼らが死んでしまえばいいと思った。神に対して、彼らが地獄に堕ちて火に焼かれるように祈ったんじゃないのか」
あまりにも、と言うしかないほど残酷な、しかし真実の言葉の前に、著者は動揺しました。
悪魔は、殺人者も被害者も、心の中で殺人を犯すなら同罪だと断じています。
しかしこれは悪魔が意地悪だから言うのではないのです。
彼女が信奉するイエスが言った言葉でもあります。
それが試されることが目の前で起きていました。
何度も繰り返し聴いて知っていたはずのことを、彼女は過酷な現実の中で体得することを要求されました。
「どうしても祈ることが出来ませんでした。怒りの炎が燃え上がっていたのです。私は神様に、いつか私が彼を赦すことが出来るようにと祈りました」
こうして著者は、自分の「赦し」の限界を知り、脅威という現実の変化以上に、自分の内的な変化を強く求める方向に大きく舵を切りました。
やがて著者はそれまでと異なる視点で、恐怖を直視していくようになります。
「彼らは自分たちがどんなに恐ろしい苦痛を与えているか分かっていないのです。何も考えず人々を苦しめ迫害しているのです。彼らは神を傷つけているのです。そして自らをどんなに傷つけているか分かっていません。彼らの心は悪魔に占領されているのです。でも彼らの魂は悪魔ではないのです。彼らは神の子供たちなのです。…神様の目には殺人者たちでさえ、愛と赦しを受ける対象なのです。私は、神の子供たちを愛する気がないのなら、私への神の愛も期待することは出来ないとわかりました。私は殺人者たちのために初めて祈りました。彼らの罪をお赦し下さいと」
どうでしょうか。
皆様にも赦せない人、怖い人、苦手な人、「この人さえいなければ」「明らかにこの人が悪者だ」と思ってしまう人がいるかもしれません。
相手のネガティブな言動に対して、ネガティブな感情と思考によって反応していないでしょうか。
ネガティブに対してポジティブで応じるということは、単なる楽観主義という言葉では収まらない、内面の厳しい挑戦です。
しかしそれを通してのみ、私たちは本当に深いレベルにおいて変容を遂げることができるのだと思います。
本日19時、ヒーリング夜話#7「助けを受ける難しさについてを公開します。
是非お聞き下さい。
明後日、
6月30日(火)は山羊座満月の浄化ヒーリングです。
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お読み下さりありがとうございました。
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