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神への感謝

「困った時の神頼み」と昔から言う。 その意味する所、困らない限り人間は神のことを忘れているらしい。 それに対して日常的に神を祀るとは、どういうことだろうか。 毎日神を御祀りするには、神に対する認知(そもそもはこれが前提)、信頼、感謝などが欠かせない。 しかし実際には、生きていると、神への信頼も感謝も全部投げ捨てたくなるようなこともある。 そんな時でさえ神に対して感謝を抱くことが出来るとしたら、それは相当低い所から発せられる感謝、つまり〈自分が存在していること〉そのものについての感謝となるに違いない。 普通、〈自分が存在していること〉なんていうのは、当たり前のことで、感謝の対象でも何でもなく、それどころか〈自分が存在していること〉自体が呪わしく思えることもある。 神への感謝が極まると、何でもかんでも「神様のおかげ」で、カルト宗教の様相を呈してくる。 でも、それで良いのだ。 それくらいでないと、本当の信心には至らない。 私たちは余りにも当たり前の顔をして生きているから、既に充分すぎるほどのものを与えられていることに気付くことが出来ず、もっとああならこうならと、つい不満を抱き、不平を言う。 そんな人間を神はずっと見ている。 いつか気付くといいなあ、と思いながら。 私たちは本当に飢餓の国にでも生まれ変わらない限り、毎日食事できる有り難さを認識できないのだろうか。 戦乱の国に生まれ変わらない限り、今日も命を脅かされない有り難さを認識できないのだろうか。 私たちは決してそんなに愚かではないと思う。 ただ、 今の状況を感謝の目で見る「眼鏡」をかけ忘れているだけなのだ。 私は毎日、感謝を思い出すようにしている。 今日が良い日か悪い日かとは関係なく。

天津祝詞を唱えた幼稚園時代

私が通っていた幼稚園は神道系だった。 毎朝朝礼があり、講堂に児童全員が集って、神棚に御供物を捧げ祝詞が唱えられるのを見たものだった。 後に同じ学園の小学校に進んだ。 だから9年間、神棚と祝詞に馴染んでいたことになる。 にもかかわらず、覚えていたのが、「たかまのはらにかむつまります」から飛んでの、「かしこみかしこみもうす」だけだったとはどういうことだろう。 言うまでもなく(いや、言うまでもあるか)、天津祝詞(あまつのりと)の最初と最後である。 途中はどこに行ったのか。 そもそも全文は唱えさせていなかったのか。 多分そうだろう。 もうそうなら少しは覚えているのに違いないのだから。 多分、上の二節だけ、斉唱したのかもしれない。 ともかくそんなことがあり、自主的に祝詞を唱えるようになったのはずっと後年のことだった。 神棚を家に入れ、御札を頂き、天津祝詞を覚えた。 すると自分の中から記憶の断片が再生してきて「高天原に/かむつまります/ すめらがむつ /かむろぎ/かむろみの/みこともちて」と、口をついて出てきた。 ネットで色々見たのだが、天津祝詞では、「すめらがむつ(皇親)」をここに挟まないのが一般的であるらしい。 天津祝詞とは別の大祓詞(おおはらへのことば)では、この単語が挿入される。 まあ大した問題ではない。 諺も家々で微妙に言い回しが違っていることがあるように、祝詞にもちょっとした違いがあるのだ。 私が通っていた幼稚園では長らく「すめらがむつ」入りの天津祝詞が、口伝されていたのだろう。 自分にとっては有り難い記憶なので、今も「すめらがむつ」版を我がものとしている。 ・・・・・ ところで、 先日お話した龍の絵 が依頼者Aさんの手に渡り、素敵に写真を撮って頂いたので是非ご覧下さい。 https://www.instagram.com/p/C4KSqmcPC0C/ 去年描いた動物シリースの絵もそろそろ販売していきたいと思っていますので、ご興味のある方は是非お問い合わせ頂ければ嬉しいです。

魚座の新月

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魚座について色々考える回… この一年、色々なことがあり(いや、毎年色々あるのだが)、こんなにも人生はままならないものかなと思った。 しかし起きたことは起きたこと。 全て残らず受け入れていくと、それ以前よりも心が広がっていて「まあ、受け入れられないことなんて、ないのかな」と思うようになる。 そうなる前の自分は、「これはこうじゃなきゃ」「それはおかしいでしょ」の塊だったかもしれない。 その言い分も分かるが、通用しない現実に直面した時、それをなおも言い続けても意味はない。 現実が正しく、自分が間違っていた――と自己否定的に考える必要はなく、 「まあ、自分の人生においては、こういうことが起きるのかな」 と容量を広げれば良い。 人それぞれ、二つとない個性的な人生を歩んでいる。 自分に起きたことは他人には起きないかもしれないし、逆も同様。 「何でも受け入れなければならない」のではなく「自分の人生に起きたことを、受け入れる」というくらいのこと。 するとどんどん力が抜けていく。 力が抜けた方が、上手く対処していけるから、自然とそうなる。 魚だって、四六時中泳いでいる訳ではない。 流れに乗って運ばれた方が、速いことだってある。 自分で泳ぐのも良いけれど、もっと大きくもっと力強い流れに流されていきたい。 「今自分に寄せている潮はどんなものか?」 これを毎日、心に尋ねている。 今日は魚座の新月です。 毎回言っていますが、 魚座の満月新月はヒーリングを受けるにはとても良い時です 。 お申し込みをお待ちしております。 【スケジュール】 3月10日(日)魚座新月 3月20日(水)春分 3月25日(月)天秤座満月 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング(お布施) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

世界改良の法

Kさんは書かれた。   「いつもながら、不思議です。 (遠隔ヒーリングが)遠くの人間に作用できるということ、健康状態がこれほど変わるということ、物質的な考え方では理解できないのですが、実際に起きているのですよね。 私たちも遠くの人を想う時、多少なりとも何かが起きて作用しているのでしょうね。どのように確かめたらよいのか見当がつきませんが。」 Kさんは日頃、遠隔ヒーリングを受けられている。 だからこれは疑って書かれているのではない。 改めて不思議を感じられているのである。 これについて説明することは出来るのだが、真面目にしようと思うとかなり長くなることに気付いた。 興味のある方があれば、別に講座でも開いてみようかと思った。 私自身、遠隔ヒーリングを始めて早17年になろうとするが(と書いて月日の流れに信じられない思い)、本当に確信を持てるようになったのは10年を過ぎた頃からだった気がする。 それまでは半信半疑とは言わないが、自分の見ているものや得ている印象に対する確信がなかった。 「ただの」勘、思い付きではないのか、という不安が拭えなかった。 満月新月ヒーリングを定番にしたのはいつだったか、確か7年前くらいだったような気がするのだが、それ以来、遠隔ヒーリングへの理解と信頼は深まった。 というのも、診断を伝え、「まさにその通り」と皆様から返信を頂く機会がそれ以前よりも増えたので。 反復が我が身に教え込むことは多い。 逆に言うと、そうでもなければ、信じることはなかなか難しかった。 私たちの心と心は繋がっており、心こそが現実を作り出している。 遠隔ヒーリングに限定した話ではなく、広く一般に、何事につけても 「 心と心は繋がっており、心こそが現実を作り出している」という事実を私たちが等しく認識すれば、必ずやこの世界は今よりはるかに良い場所になる と私は確信している。 逆に、これが分からない限り、どんな物質的、制度的な改良にもかかわらず、世界は進歩しないだろう。 それくらいの力を、心は日々生み出し続けているのである。 簡潔に指針を述べれば、次のようになる。 可能な限り常に、清く、美しく、感謝して、人を恨まず 。 世界を前進させるには、何を措いてもこれ以外にないと信じている。 凄く伸びしろのある、初歩的な段階にあると思う―― 自分自身を始めとして。 図らずも魚座成分たっぷりな...

気が上がる 2

「どうしたら気が上がった状態をリセットできるのか」 これについてお話しよう。 まず前者だが、私たちは頭を使わずには生きていけないが、使いすぎると自分を駄目にしてしまう。 その線引きが難しい。 しかし有り難いことに私たちは肉体を持っている。 前頭部が腫れてくるような体感を得られる時には、そこに血(=気)が回りすぎている。 考え事というのは一種の中毒性を持っているから、「いや、しかし考えなくては」と、私たちは自分の自滅行為を許しがちだが、 肉体が異変を訴えている時には、何と言おうと今の在り方は正しくない。 そこで気付いて、方向性を改めるのが望ましい。 仕事や懸案から離れて、遊んでみるとか、気分転換するとか、体を休めるとか、場所を移るとかするのが良い。 宇宙からの波動、または地球の波動なのか、分からないが、それを受けて、勝手に気が上ることもある。 そういう時、私は頭が痛くなる。 特に自分からお迎えに行って考え事をしていなくても、このようなことになることはある。 いずれにせよ「気が上がっているな」と気付き、リセットする、この心がけの根本は、自分の状態に対する認識である。 そのために、改めて真呼吸が欠かせない。 明後日は、魚座の新月です。 ヒーリングを是非受けて下さいませ。 【スケジュール】 3月10日(日)魚座新月 3月20日(水)春分 3月25日(月)天秤座満月 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング(お布施) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

気が上がる

Kさんから遠隔ヒーリングのご依頼があった。 ご家族皆様が風邪を引かれた模様。 その翌日。 「とてもよく寝られた感覚です。 脚がだるかったりしたので、〈気が上がっている〉というのはなんとなく感じていました。 今朝は大分スッキリした気持ちになっております。  ありがとうございます。」 気が上がっている印象がある、と私が伝えたのだった。 どういう状態かと言うと…気が上がっているように見える。 そのままなのだが! 逆にどういう感じだと適正だと言えるのだろうか。 何となく、イメージとしては丸いのが良い。 更に理想的には、丹田に重心が感じられるのが良い。 先日、山登りをしていた時に、とても体がよく動く老婦人が、先を歩いていた。 見事なまでに丹田に重心があった。 足の気は、かんじきを履いているかのように広がりがあって安定していた。 心も体も、かなりよく練られている人に違いない。 (ちなみに私は全然その域に達していない。ちなみに、かんじきを履いたこともない。) もっとも気が下の方に落ちていれば常に必ず良いのかと言うと、それも違う。 遠隔視において、下半身が3倍くらいに膨れ上がって見えるようなこともある。 ダボパンを履いているような印象であり、ガンダムで言えばドムである。 そういう場合には、精神がかなり低迷している。 多分思考も混濁し、だらしなくなっていることだろう。 それはともかく先日のKさんは頭に気が上昇していて、バランスが悪くなっていた。 気が上がっていると、思考の速度は良くも悪くも早くなり、体調を崩しやすい。 風邪を引く準備が整っているような状態である。 考え事や気患いが多すぎるという短期的状況、心が落ち着かず頭で考えすぎてしまう長期的傾向、この二つが近因遠因となる。 どうしたら気が上がらない状態を常のことと出来るのか、 ということについて、後日改めて書いてみよう。 Kさんは続けて、 「いつもながら、不思議です。 遠くの人間に作用できるということ、健康状態がこれほど変わるということ、物質的な考え方では理解できないのですが、実際に起きているのですよね。 私たちも遠くの人を想う時、多少なりとも何かが起きて作用しているのでしょうね。どのように確かめたらよいのか見当がつきませんが。」 これについてもまた、続きを書いてみることにする。

子供に諺を仕込む

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そろそろまどかの教育を始めよう、と思った。 4歳。知的能力は既に開花を始めている。 そこで諺を覚えさせることを始めた。 どうやったら促せるものかと思ったが、全く難しくなかった。 「犬も歩けば棒に当たる。言ってごらん?」と誘いかけると、何度か繰り返した後すぐに復唱出来るようになった。 もう少し成長した後では「ああ、うるさいな、また親父が何か言い出した」となるのだろうが、そんな反発心は今はまだ芽生えていない。 今の内に、父親とは言葉遊びをするものだ、という土壌を形成しておく。 すぐに復唱することの楽しさに気付いたようで、私が教える諺を次々と覚えていって、その数、十に及んだ。 子供の心は具象の世界に留まっている。 だから動物が出てくる諺は覚えやすい。 猿が木から落ちたり、犬が棒に当たったり。 一方、概念で成り立つ諺は覚えにくい。 後者の諺はもう少し時を経てから試みるが、「楽あれば苦あり」は覚えさせることが出来た。 子供に、色々と言って聞かせなければならないことがある。 そんな時「楽あれば苦あり」の一言は、魔法のように働くことだろう。 その効用があればこそ、先人たちはこの言語的遺産を私たちに伝えてくれた。 子供はただ純粋に、新しく 初めて知ることを楽しんでいる。 諺を教えることは、初め、私にとって教育意図を持ってのことだったが、子供はそれを、口の中で動かすおもちゃにしてしまった。 こうして二人で遊べる新しいおもちゃが出来た。 やがて教える題材が故事成語になり、和歌になり、祝詞になるかと思うと今から既に楽しみである。 アンパンマンミュージアムに行く道々も。