〈好き〉と〈隙〉
「私、好きなことしかしていないんです」と言う人がいたら、そりゃ運が良いだけだろう、と思うかもしれない。
しかし実際には、その人は努力をしていると思う。
好きなものを見つける努力、手に入れる努力、好きではないものから身を守る努力、断る勇気を持つ努力…
こうして考えてみると、「好きなものやことにいつも囲まれています」と言えない人生は、単なる怠けの結果なのかもしれない。
先日ふと「好きのない所に隙がある」という一文が浮かんだ。
〈隙〉とは何だろう。
それは「まあいいや、これで」という心ではないだろうか。
その一つ一つは小さなものながら、それが積もり積もって山となり、「まあいいや、私の人生はこれで」となる。
それが温かな諦観になっているのかと言えば、得てしてさにあらず、流される人生を生きている人は、いつも文句を言っている。
「こんな流され方は嫌だった」みたいなことを言う。
それは都合の良い話。
自分がどうありたいかということは、やっぱり自分だけが決められるもの。
必要なのは一大決心ではなく、日々の〈好き〉と〈隙〉の峻別、そしてそれに基づく選択なのだ。
〈隙〉には、他人の無理な要求や我が儘や、焦りや不安の思い込みがどんどん入ってくる。
雨水を澑めてしまう穴ぼこのように。
〈隙〉をなくすには、その穴を〈好き〉で埋めていくことなのではないだろうか。
そしてそうすることは「文句を言わない人間」になるための最低条件ではないだろうか。
周りの人を観察すると、やっぱり〈好き〉の多い人ほど〈隙〉が少ないことに気付く。
そして最後に重要なことがもう一つ。
そうであろうと何であろうと、関わった以上は自分の身の回りの全てを〈好き〉になる努力――これも同じく、必要なことかと思う。
コメント
朝から活力をいただきました。
どうもありがとうございます。
好きを貫くことは大変ですが、小さな事から好きをやっていこうと思います。
新しい気づきを、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
好きを更に増やしていきましょう。
コメントありがとうございます。
はい、好きを貫くのは本当に大変なことです。
しかしとても大切なことですね。
是非挑戦して下さい。