カフェにて1
最近、心を入れ替えて、もっと清く正しい精神で生きたいと思うようになった。
そのためには、奉仕の実践が必要である。
そしてそのために、まず、そう願いを立てる必要がある。
奉仕の仕事をさせて下さいと私は神にお願いしている。
仕事は普通、見返りを作り出してしまう。
その見返りのおかげで生きていける。
皆様に支えてもらって、私のこの仕事も人生も成り立っている。
皆様には本当にいつも心から感謝しています。
一方、一つ働きをすると自動的にお金が支払われるという生き方は、精神を曇らせる恐れがある。
自分を浄化するために、見返りを求めない、見返りと関係のない働きをしたい。
与えられた縁を頼り、その都度、心を尽くす。
そうすると、もっと人の役に立てるようになる。
神がその願いを叶えてくれたのか、最近は、そういう仕事を以前より明白な形でさせてもらえるようになってきた。
先日は馴染みのカフェに、ふと思い立ち出かけたら、隣に座っている女性に話しかけられ、何やら現状に行き詰まっていらっしゃるご様子だったので、流れで神の教えをお伝えした。
とても感謝された。
その時お話したのは、要約すれば次のことである。
1.「神と死を考えて生きれば自ずと道は見えます」
2.「自分という存在もまた自然の造化です。それを固定観念によって捻じ曲げようとしてはいけません」
具体的にどういう話をしたのかは、次回に譲ろうと思う。
お礼をしたいくらいです、と言われたが、お気持ちだけ頂いてお断りした。
人の役に立てる機会を与えてもらったこと自体が、私にとっては感謝すべきことだった。
それにしても、神の采配は見事である。
その日、なんとなく私はカフェに行こうと思い、その人もそう思い、隣に座り、自然な流れでそういう話になったのだから。
こんな機会をこれからももっとたくさんもらって、自分にだけ出来る貢献をしていきたいものである。
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