91 お正月
皆様お正月はいかがお過ごしでしょうか。
ぼちぼちブログを再開しようかと思うのですが、年末年始で通常の流れが切れてしまったので、何を書いたら良いかまだ分からずにいます。
本当にこのお正月という行事の力は凄いものです。
…なんてことを感じるのも勿論、個人差だとは思うのですが、私はやたらと居住まいを正したがるのです。
普段からそれなりに掃除は行き届いている(と思う)ので、大掃除はやらないのですが、御札を取り替え、注連縄を新しくし、松飾り正月飾り、それに梅の枝を買い求め、毎年ながら非常に段取り悪く何往復もしておせちの食材を調達し、そして、おせちの作成に取り掛かります。
今年は親に第一弾、来客用に第二弾と、二段構えのおせち作りとなりました。
これまた居住まいを正したがり、4段の重箱にぎっしり12品も、手抜きせずに一から作るのです。
御覧くださいな。
歳の内の考えを新年に垂れ流すのは良くないと思い、ブログの書き溜めもしないので、ネタ切れ状態。
さて、何を書こうと思っても、新年早々、何事もなかったかのようにまた教えめいたことを淡々と語りだすのもどんなものかと思い、とりあえず今日はだらだらと綴ってみることにしました。
この年越し、余韻に残ったことはと言えば、二つ。
一つは毎年の梅の枝ですが、買い物の列に並びながら、実に風流なことだ、と思いました。
売り物の時点では、蕾はあれど、花は咲いていません。
これを元日に合わせて花開くように、日向に置いておきます。
目論見通り、次第に一つまた一つと開花していくと、ほのかに梅の香りが香ってきます。
梅が枝に 鳴きて移ろふ うぐひすの
などと思い出し、古今和歌集を開いてみたりします。
いつから自分はこうなったんだっけなあ、そしていかに、と考えると、実に歳月と、関わる皆様方にこの暮らしを成り立たせて頂き、また感受性を育てて頂いたことが思いやられました。
それは自分に内在していた性質であった訳ですが、そういったものは全て、他者や環境の力に刺激されて初めて、次第に引き出され、形を明らかにしていったのでした。
まさに、梅の花のように。
そんな訳で、私はこうして出来上がった自分流のお正月の過ごし方が、とても好きなのです。
二つ目は子供のことで、2週間と少しぶりに会うのが余程嬉しかったらしく、おとうちゃん!と元気に言いながら駆け寄って来る息子を見て、人生いろいろ形はいろいろあっても、何はともあれ幸せなことだと思いました。
形にこだわらないこと、起きたことを悔いないこと、今を前向きな気持ちで受け止め、自分に与えられた有り難いものとして大切にすること。
そういうふうに心を生まれ変わらせたからこそ、この「ちょっと普通とは違うけれど、幸せ」を得ることが出来るようになったんだ、と思いました。
のどかなお正月の余韻を今しばし楽しみます。
ではまた明日。
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