150 本当の自分のしるし
「最近の私の気づき、聞いて下さい(笑)
最近になり「私って、もしかして繊細だったのかも🙄」と思いました(笑)
家族からは「も〜、アンタは、、、😮💨」という風に思われて育ったので(少なくとも私はそう感じていた)、鈍感なのが便利、それでいて家族の意見に合わせていたら問題ないと思っていたのかも」後略
**さんに対して私は過去に何度か「あなたは本当は繊細です」と言ってきたのですが、どうでしょう、耳に入っていたのでしょうか。
耳に入っていたのなら、改めて実感できたということですね。
耳に入っていなかったのなら、まさに、準備ができるまでは見えない聞こえない、ということで、それもまた意味深いことです。
それはともかく。
本当の自分なんて、なかなか分からないものです。
というのが一応、月並みな意見にはなるのですが、面白いことに、本当の自分が何々であるであるというサインや証明みたいなものは、実は人生の色々な所に散らばっているのです。
そういう目で振り返ってみると、発見があると思います。
みなさんも、やってみて下さい。
**さんの場合、私が思い、また今までもお伝えしてきたのは、「そもそも繊細じゃなかったらカワベに関わろうとなんて思わないよ」ということ。
だって、繊細なことばかりブログに書いているような人間じゃないですか。
それを、ほーほー、と言って毎日読んでいる。
それって、あなた自身が繊細さを愛好する感度を持っているということでしょう。
でも自分が当たり前にしていることは、多くの場合、自分にとって盲点です。
盲点ですが、サインや証明は実在しています。
必ずです。
お書きになったように、家族の空気の中で人格は形成されます。
芯の部分、魂の個性は消えないのですが、埋没してしまうんですよね。
でもどこまで言っても、主導権を握っているのは魂の個性なので、私達はそれを認め、受け入れ、人生の軸にしていかなければならないのだと思います。
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