12通目の手紙。卒園式、天の声、子供の歌
打診されてから1ヶ月あまり、毎日時間を作って練習しました。
最初はどきっとしましたが(何しろそれほど弾けるわけではないので)、こういう機会はもれなく利用したほうが良いという考えなので、思い切って引き受けることにしたのでした。
そもそも4年ほど前にピアノを始めた理由は、その頃お世話になっていた幼稚園の方に「おじじってピアノ、すごい弾けそう」と言われたことでした。
こういう言葉は、天の声と心得ています。
自分の潜在的可能性については、自分よりも常に他人の方がよく見抜いているものだからです。「そうなのか、そう見えるのか、じゃあやってみるか」という馬鹿みたいな単純思考で始めました。
その時の些細な後押しが、今日という日に繋がりました。
事前に録音して保護者たちに共有し、子供たちに練習してもらいました。
当日、本番の前に一度だけリハーサルをしましたが、子供たちの声は本当に元気そのもので、大きな喜びと共に力をもらいました。
本当に、子供というものは奇跡のような存在です。
大人になるということは何なのだろうな、と思います。
子供の心を失わないまま大人になれたら、人生は豊か、そして世界も平和なことでしょう。
多くの人にとって、大人になるということは、子供の心を失うという代償によってのみ可能となります。
自分もまた、そうです。
だからこそ、子供の心が枯れ果てることのないよう、自分の内なる子供の心を刺激し続けていきたいと思います。
今回ピアノ伴奏を引き受けたのもそういう考えで、出来るから引き受ける、出来ないから引き受けない、というのは、大人の考え方だと思うのです。
一方、子供の考えとは、「言われたからやってみる」という単純素朴なものなのではないかと思います。
出来るか出来ないかはやりながら考え、やると言った以上は出来るように何とかする――
実際、そうなのだと思います。
子供たちは他にも何曲か歌いましたが、全部覚えて披露しました。
「出来ない」は、ないんですね。
「やるのか。じゃあやろう」そして出来るようにする。それだけです。
だから私もそうしました。
『それもいいね』という楽曲についてはいくつか前の記事に書きましたが、子供たちの歌声は、その歌の良さを更に引き立てました。
1ヶ月以上にわたって毎日聞いて毎日弾いた曲ですが、本日でやっと終了。
ほっと一息つきました。
こんな機会はもうないでしょうが、子供たちの歌声に混じって、弾いて、また一緒に歌いたいという思い出が残りました。
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