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小さな変化3

「放っておけば劣化するのが自然界の現実」と昨日書きましたが、例えばラッコは一日の大半、毛づくろいをしているそうです。 というのは、そうしませんと、撥水性が落ちて水に沈んでしまうとか、皮膚が濡れて体温が下がってしまうからとか、そういうデメリットがあるからです。 そういうことです。 そういう目で見ると、命あるものはみんな努力をしています。 私たち人間は違う所で努力していますが、それはちょっとずれているんじゃないかなと思います。 ラッコのように自分を保つために必要な努力をするのではなく、もっと楽したいとか、もっと欲しいとか、嫌なことから逃げたいとか、そういうことのための努力ばかりしています。 しかしそれは自然界が生み出した生き物として法則というか、当たり前のことに反しているからこそ、叶わないのではないでしょうか。 「何を言っているんだ。それ以前におまえはもうほとんど沈みかけているラッコじゃないか」というようなことです。 私自身、大きな問題が沢山あったし、これからもあると思うのですが、過去を振り返る限りでは、最低限のことをしていないラッコでした。 だから大変だったのは当たり前だったと思います。 そのことに気付かず、こういう体の作りにした神様が悪いとか水というものの性質が悪いとか、ああ、だから生きるのは大変なんだとか、そんなようなことを言ってばかりいた気がします。 それを言うのは自由なのですが、それをどんなに続けても絶対に現実が良くならないことは目に見えています。 「放っておけば毎日劣化していく」ということをわきまえることは、人生をより良いものにしていくために必要な最低限の理解ではないかと今では考えています。 大きい問題は目に付きやすいのですが、さてそれを解決しようとするととても難しいものです。 そもそもどうしてそのような大きな問題が起きているのか、起きてしまったのかも、なかなか分からないものです。 大きな問題は小さな原因の積み重ねの結果だと思います。 そこで小さな問題を一つ一つ解いていくことが大切になってきます。 小さな問題というのは、そもそも問題として認識されていません。 だからこそ、「小さな問題」なのですが。 普通、それは自分にとって当たり前のことと認識されています。 例えば、姿勢が悪いこと、靴を揃えないこと、戸棚を閉めないことなどです。 私自身について言うと、自分の行

小さな変化2

簡単に言えば、育ちの良い人、親から充分な配慮と関心を受けて育った人は、良い習慣を持っている傾向にあります。 逆にそうでない人は、親から指導されたり、良い見本を提示されなかったために、心身ともに健康であるための最低限のテクニックを学んでいない傾向にあります。 私は放置されて育ったので、当たり前のことを全然身に付けないまま大人になってしまい、40歳くらいになってからようやく、「ああ、これが皆が当たり前にしていることなんだ」と分かってきたという次第です。 そして、分かって良かったと思います。 人生は確かに混乱に満ちているのですが、自分自身の習慣や行動が安定していると、その混乱に上手く応じることが出来る可能性が高まると思います。 人生は実際、気紛れに見えます。 それに応じる自分もまた気紛れだと、本当に酷いことになります。 人生は混沌に満ちているからこそ、せめて自分だけは内なる秩序を保った方が良い、というのは私が経験から学んだことです。 そしてそのためにはどんな特別な修行もおまじないも必要なく、堅実に毎日を営んでいくことなんですね。 可能な限り、家を綺麗に保つようにしています。 そしてその努力を続ければ続けるほど、「ここにも手落ちがある」ということに気付きます。 自分のだらしなさは自分の生活の至る所に表れています。 家を綺麗に保つことはそれ自体が目的なのではなく、自分の秩序を守ろうとする傾向性の強化のために必要な方便です。 同じことは言葉や体についても当て嵌まります。 「これでいいでしょ」と言い出すとどんどん落ちていくのが現実だと思います。 常に劣化している、というのは自然界の現実です。 だからこそ、常に更新し続けることがあるということです。

小さな変化1

大きい問題は目に付きやすいのですが、さてそれを解決しようとするととても難しいものです。 そもそもどうしてそのような大きな問題が起きているのか、起きてしまったのかも、なかなか分からないものです。 大きな問題は小さな原因の積み重ねの結果だと思います。 そこで小さな問題を一つ一つ解いていくことが大切になってきます。 小さな問題というのは、そもそも問題として認識されていません。 だからこそ、「小さな問題」なのですが。 普通、それは自分にとって当たり前のことと認識されています。 例えば、姿勢が悪いこと、靴を揃えないこと、戸棚を閉めないことなどです。 私自身について言うと、自分の行動習慣は過去に比べてずいぶん変わったと思います。 そのために色々と努力しました。 以前の私は例えば ・開けた戸棚を閉めない ・布団を畳まない ・姿勢が悪い ・就寝前に一日の片付けをしない ・汚れや乱れを見てもすぐに対処しない というようなことをしていました。 要するに、とてもだらしない人間でした。 こういうことの一つ一つは本当に取るに足りないことで、基本的に誰にも迷惑をかけません。 なぜなら自分一人に関わることだからです。 そしてこれら一つ一つのことは、それぞれが単独で何かの問題を作り出す訳ではありません。 しかしこれらを扇に喩えると、その要の部分に「だらしなさ」があります。 そのだらしなさが「大きな原因」で、現実状況に対して何らかの「大きな問題」を作り出すことになるのです。 自分一人に属すること、自分の生活や行動の習慣は、普通、他人が指摘してくれません。 そもそも認識されませんし、されたとしても、そこに立ち入るのは大きなお世話と普通誰もが考えるので、教えてもらえません。 小さな一つ一つを変えていくことは、自分の思考や行動のパターンを変えていくということで、その先に「違う自分」が待っています。 その違う自分には当然ながら「違う状況」がもたらされるのです。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー

内省3

重要なことは、内的な課題なるものは解決されることを求めている、ということです。 これは魂に根ざしたとても強い欲求なのです。 しかし右手だけでは手を叩けないように、自分一人で自分の内部を見つめても、解決は一向にはかどりません。 そこで左手が必要になります。 その左手こそが、他人であり、現実状況であるわけです。 過激な体験というのは、見事に鳴った柏手のようなものです。 ぴしゃりと良い音がします。 一方、優しく弱く、的をずらして手を叩いても良い音は出ません。 つまり刺激も痛みも苦しみもない体験をどんなに続けても、人間は利口にはならないし、問題も解決されないのです。 私たちの自我は穏便で満ち足りた暮らしを求めていますし、それで満足しますが、魂の方はうずうずして来ます。 「何のために生まれてきたと思っているんだ。魂の課題を解決するためだろう」と、やきもきしてくるのです。 魂と、私たち自我の関係は、人形遣いと人形のような所があります。 身も蓋もない言い方をすれば、そういうことです。 私たちは魂の先端部分であり、表現を担わされた部分であり、その意味では実は全然自由ではないし、自由であるべきですらないのです。 私たちがこの認識に逆らいたくなるのは、ひとえに私たちのエゴが憤慨するからです。 しかしまあ、多分その憤慨を卒業することが、魂の成長のささやかな証と言えるのでしょう。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

内省2

人生は課題の行列であり、一つ一つ応じていくことが正攻法、と私は思いました。 実際、自分そして他人の人生を観察していると、同じパターンが繰り返されていることに気付きます。 「またやってる」なのです。 でもなぜそうなるのか、なかなか分からない。 実際には凸凹が噛み合うように、必ず自分に見合う相手や状況がもたらされているのです。 まったく、ここには寸分の狂いもないと思います。 しかしそれでは納得が行かないので、他人のせいにしたり状況のせいにしたり、あるいはスピリチュアルっぽい仮説にすがったりしますが、どこまで行っても自分の内的な問題の解決契機として、諸々の状況は与えられているのです。 私は自分の成長につれて、「なぜこれが起きる」に対する答えを得るまでの時間がどんどん短くなってきたと思います。 以前は、自分の身には理不尽なことばかりが起きていると思っていました。 それが何年も、事によっては十何年も続いていました。 理不尽というのはただ「苦しい」というだけの意味ではなくて、「意味が分からない」という含みもあります。 苦しみの意味が分からないということは、しばしば苦しみそれ自体よりも大きな力を持つものです。 後になってみると「ああだったからか」と分かることがあります。 だいたい、現在の自分は過去の自分より多少は利口です。 そこで、今の内から未来の自分になりきって、現在の自分を振り返ってみます。 それは簡単に言えば、俯瞰して見る、主観から離れて観察する、ということです。 そして自分と他人の立場を置き換えてみたりする。 すると「なるほど」と腑に落ちて、それと共に内的な課題がまた一つ解決されるということがあります。 そのために、瞑想や気分転換が欠かせません。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーー

内省1

いったい自分の人生はどこに向かっているのだろう? というのは、なかなか答えの得られない問いです。 こっちだ! と確信を持ってもすぐにはぐらかされたり、方向転換を余儀なくされたり。 そうかと思えば、予期しない所から何かが飛び込んでくることもあります。 逃げようにも逃げられないことがある一方、逃げるが勝ちのこともあり、本当に、知恵を磨いていくしかないと思います。 そしてどんなに知恵を磨いても、その知恵では通用しない何事かが起きる… 基本的に、この連続ではないでしょうか。 しかし、結局それが人生なのですから、この「基本的な連続」を速やかに、潔く、こなしていくことが大切だと思います。 課題は次々と投げ込まれます。 今の課題を問いたら次が来ます。 しかし叶いもしない願望や、言っても仕方のない愚痴を言うことばかりに時間をかけるなら、課題はいつまでも解決されず、同じ所に留め置かれます。 どちらにしろ人生は大変なのですが、「進む大変」と「進まない大変」と、どちらを取るかという話… 私は20代の頃に不思議な直感を得まして、その時、自分に向かって一直線に並んでいる課題の行列が見えたのです。 その時、以来、とにかく自分の前に来たものに好き嫌いを言わず一つ一つ応じていけば必ずいつかは行列の最後に行き着くに違いない、そこが自分が到達したい地点だ、と思いました。 それからそのつもりで生きることを始め、20年ほど経ちましたが、だんだん速度が上がっているのを感じます。 正直、中盤、かなり中だるみして、文字通りに時間をどぶにすてていましたが、目覚めが進むにつれて、「今、これこれのことが起きている」「これこれのことを解決することが望まれている」ということが分かるようになってきました。 皆さまはいかがでしょうか。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②m

問題提起と解決の時

  昨日、こう書きました。 問題が提起されている時、それは同時に解決が視野に入っている時です。 これは体の問題に限ったことではないのです。 人生に起きる全てのことが、このパターンを踏んでいます。 残念ながら、必ずしも私たちがその流れに正しく乗れるわけではないのですが。 ある問題が起きた時、こう言われているのです。 「いま起きている問題をよく見なさい。 よく見れば何が改善点であるか今のあなたには分かるはずだから見せているのですよ」と。 でも、それでもやはり分からない時もあります。 分かるまで、心は問題提起を続けます。 これが反復的、周期的に、または持続的に問題が発生する理由です。 問題は無目的に起きているのではありません。 ですから例えば人間関係ならば、相手への非難をどこかの時点でやめて、自分はどこに引っかかっているのだろう、どうだったら満足なのだろう、そして自分はなぜそういう願望を持っているのだろう、ということを考え始める必要があります。 私自身も何度もそれを体験し、そのたびにとても苦しい思いをしましたし、これからもすることと思いますが、 しかしそれらを通して、自分の深い問題、心の傷に気付くことが出来たと思います。 今の自分なら分かるから、問題が示されたのだと思います。 問題発生はできれば避けたいものです。 苦しみがない人生が可能ならば、ぜひともそれがほしいものです。 しかし結局それでは私たちは何も学べないのでしょう。 苦しみというものは、自分を成長させるか、自分を破滅させるか、二つに一つの厳しいものです。 でもこのように人生を観察し、生きるようになると、この人生というものがどこに向かって、何を求めているのか、ということがだんだん明らかになってきます。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.he

霊体は寡黙

昨日こう書きました。 「 ちなみにSさんの場合、遠隔視でその問題箇所が見えませんでした。 ということは、Sさんのお体(霊体まで含めて)の方は、解決の時期と見做していないのでしょう」 これについてはこれまでも度々書いているので、既にすっかり理解されていらっしゃる方も多いかと思いますが、改めて説明します。 普通、主訴があると、治療する立場の者はそれを検討し、対処するものです。 しかしヒーリングの世界はこの意味で「普通」ではありません。 「Sさんが何と言っているか」ではなく「体が何と言っているか」が問題になるのです。 これは遠隔視できるかどうかという点で判断されます。 遠隔視できるものは、体が訴えているものに限られます。 だから逆に、自覚症状がない場合もあります。 例えばNさんには先日、首の詰まりを指摘しましたが、ご本人の自覚はありませんでした。 このようなズレはよく起こります。 問題が提起されている時、それは同時に解決が視野に入っている時です。 勿論、この「解決」には長期/短期、また解決の程度の深さ/浅さの差がありますが、いわば生命の知恵なるものは、「今が解決の時」と判断した時に初めて「ここに問題がある」と霊体において表出することを始めるのです。 この意味で、私たちの自我と違って、霊体は極めて寡黙です。 ですからSさんの場合はー他の方もそうですがー問題の自覚症状があるにもかかわらず遠隔視で識別されない場合、「しばらくその問題と関わってみて下さい」というメッセージと解釈することが出来ます。 問題と長期間関わることは不快な体験ではありますが、体験を通して感覚レベルに浸透することによって、いつかどこかの時点で臨界点に達した時にようやく、「よし、素材が出揃ったぞ」と言って、霊体が動き始めるということがあるのです。 私たちの好み、望みには必ずしも沿わないことが多いですが、ヒーリングの世界はこのようになっています。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可)

先祖系の体調不良

「背中の痛みについて、前回カワベさんから、物理的に痛めたのではなかったら家族/家系からかも?と教えてもらったのが今年入ってからなので、それから続いてる感じですね。最初は寝違えかな?と思ってたんですが、その他に原因が思いつかないとなると」 云々。 勿論、「かも」なのですが、確かに家族/家系由来だとすると、これは今後どうなっていくのか、ということについてお尋ねでした。 基本的に、半永久的に続きます。 いつか解消されるに越したことはないけれど、それは今年や来年の話では絶対にないです。 「あ、楽になった?」と思っても、一時的に沈潜しただけで必ずいつかまた浮上してきます。 これは悲観的予測ではなく、家族/家系というのは私たちの源、主原材料なわけですから、簡単に切り離せるわけがないのが当たり前なのです。 で、特に有効な方法もありません。 心清く生きようと努める限り、昨日も今日も解決には向かっているのですが、「これをするとこうなる」というような単純な世界ではありません。 問題が表出してくるのは、人生の段階が進んだ時であることが多いです。 例えば、私の場合、子供が生まれたことによって、家族/家系の問題がそれ以前より鮮明に顕在化してきました。 または全くよく分からない理由によってスイッチが入ることもあります。 ちなみに上のSさんの場合、遠隔視でその問題箇所が見えませんでした。 ということは、Sさんのお体(霊体まで含めて)の方は、解決の時期と見做していないのでしょう。 すっきりしない本日の記事になりましたが、皆さまに問題提起として投げかけておきます。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.mic

好きなことを活用する5

最近、めっきり言わなくなったのですが、私は昔、よく言っていたものです。 「あなたの心が、才能なのですよ」 でも、これはあまり上手く伝わらないようなので、言うのをやめてしまったという訳です。 心というのは、感情の同義語ではありません。 感情は心の一部ですが全てではありません。 あなたの中から湧いてくる全て、あなたの中に息づいている全てが「心」なのです。 そして誰一人として同じ心を持っていません。 その心に導かれ、後押しされて、私たちは生きています。 心に従って生きようとしている人なら、この心というものがいかほどに素晴らしいものか、有り難いものか(そして同時に恐ろしいものでもあるか)、分かるでしょう。 心があるから、私たちは何かを望むのだし、喜ぶのです。 そしてその反応を参考にしながら、どうにかこうにか人生を模索していきます。 心は私たちが何に喜び、何を恐れ、何を求めるかということを示します。 闇の中で行く先を照らす魔法の鏡、魔法の指輪のようなものなのです。 そしてその心なるものは、またとない形で個性を宿しています。 私たちの中に何らかの求めがあるのです。 その求めが叶わないことを座って愚痴るのではなく、今日からその求めを行いに移していくことがとても大切です。 何を求めているのか分からない、という人もいると思います。 まずは向き合う努力をしてみて下さい。 そうするとだんだん見えてきます。 これについて私の言葉などよりはるかに説得力のある言葉をカザルスが語っているので、昨日に引き続き飲用します。 「一秒一秒、私たちは宇宙の新たな二度と訪れない瞬間に、過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。子どもたち一人一人に言わなければならない。君は何であるかを知っているか。君は驚異なのだ。二人とない存在なのだ。世界中どこを探したって君にそっくりな子はいない。君の体を見てごらん。実に不思議ではないか。脚、腕、器用に動く指、君の体の動き方!君はシェイクスピア、ミケランジェロ、ベートーヴェンのような人物になれるのだ。君は奇跡なのだ。だから大人になった時、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。君たちは互いに大切にしあいなさい。君たちはー我々も皆ーこの世界を、子どもたちが住むにふさわしい場所にするために働かなければならないのだ」 今日もお読み下さりありがとうございま

好きなことを活用する4

  コメントを頂きました。 「私はフォトエッセイを小ロットで印刷し、イベントなどで販売するようになりました。…売れたり、売れなかったり、、未だに一喜一憂してますが、制作中は何物にも代え難い楽しさがあります。… 中学生の頃に描いた夢が少しずつ形になり、魂が一番喜びを感じることをこの歳になり、ようやく知りました。 お金を頂くようになり、私は神様から頂いたギフト=書くこと、を誰かの手に渡り、言葉が私のものではなく、相手のものになったとき、ギフトを神様にお返ししているような尊さを感じます」 https://atelierkoshiki.blogspot.com/2024/08/blog-post_07.html とても重要なことだと感じましたのでご紹介しました。 よく言われているように、誰にも一芸があると思います。 一芸、とは言わずとも「一つくらい好きなこと」があると思います。 その「好きなこと」を伸ばしていくと、必ずやがて一芸になります。 で、これを活かすこと、使うことが、どうやらとても大切なのです。 上のコメントをなぜ私が重要だと感じたのかと言うと、「神様から頂いたギフト」と書かれていたからで、それがまさに私の言いたいことだったからです。 私たちは自分に属するものは全部当たり前に自分のものだと思いがちなのですが、そうではないんですね。 それらは与えられたものだと思います。 だからこそ、そこには実は「正しく用いる責任」が隠れているのです。 責任、と言うと、何やら重たく感じられるかもしれません。 しかし私はここで現代チェロの往年の巨匠であるカザルスの言葉を弾きたいと思います。 自分には才能なんてない、と思う人は「好きなこと」に置き換えて読んでみて下さい。 「たまたま才能があるからと言って自惚れてはいけない。才能は君たちの関係するところではない。君たちがどうしたということではない。問題は才能をどうするかだ。才能という賜物を大事にしなさい。天与のものを汚したり、浪費したりしてはいけない。絶えず勉強して才能を育てなさい」 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 9月18日(水)魚座満月ヒーリング 9月22日(日)秋分 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 1

水瓶座満月

本日は水瓶座の満月です。 最近、なかなかハードな空模様のようです。 こういうことは一般化、普遍化するにも勿論、限りがあるのですが、自分自身そしていくらか他の方々のお話から察するに、ずっしりと重量感の試練の時期なのかなという気がします。 皆さまはいかがでしょう。 自分自身の人格傾向全般に関わる深い問題に気付かされる、気付かざるを得ないような問題が投げかけられることがあります。 そんな時、だいたい100%他人や状況が悪いように思えるようになっています。 で、本当に、ある角度から見るとそうなのですが、努力して別の角度から見ようとすると、次第に自分に内省、反省、改善、修正すべき領域があることに気付くことになります。 問題が重く、深く、込み入っている時、多くの場合、幼少期の心の傷、もっと言えば出生前に由来する傷が浮き彫りになってきます。 これに気付くのは本当に難しいことです。 その難しさ故に、苛烈な体験や逆境が必要だったりします。 こんな時、改めて瞑想の必要を感じます。 それともう一つ、徹底的な掃除も良いです。 体を動かすことも、良いでしょう。 今、問題に当たっている自覚のある方は是非試みて下さい。 本日も、ヒーリングのお申し込みをお待ちしております。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 8月20日(火)水瓶座満月ヒーリング 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

17年目が近付いています

毎日ブログをお読み下さってありがとうございます。 早いもので、次の9月1日で17年目に入ります。 2007年同日が、私のヒーリング能力覚醒記念日でした。 もう16年もやっているのか…と思い、先日信じられない気持ちになりました。 達成感があるかと言うと、ないです。 これでいいのだろうか、良かったのだろうか、と思いますが、同時に、これ以外なかっただろうという気持ちもあります。 そんな話をAさんにした所、「何を言っているんですか。16年も続けていることが本当に凄いです」と言って頂けました。 だいたい、自分のこと、自分のしたことに対する評価は、自分自身よりも他人からのものの方が正鵠を射ているものです。 そこで、そのように捉えることにしました。 ところで 前々から、記念日が近付いた頃、皆さまにお願いしようと思っていたことがありました。 皆さまは私との関わりの中で、ヒーリングとカウンセリングを通して、何を得られたでしょうか。 振り返ってみて、どのような体験が印象に残っているでしょうか。 何が治りましたか? 何が変わりましたか? どんなふうに、自分、体、心、病気、問題、人生に対する見方が変わりましたか? そしてそれはあなたにとって良いものでしたか? 夏休みの作文と思って、ほんの一行から大作エッセイまで、是非お声を寄せて頂けませんか。 せっかくだから宣伝にも貢献してやろうと思われる方で、かつお名前が表示されることにも抵抗のない方は是非、 Googleで表示されるアトリエこしきの口コミ にお願いします。 振り返り、言葉にすることは、皆さまにの内省にも役立つことと思います。 ああ、こんなふうに自分は変わったんだなという発見にもきっと繋がることと思います。 よろしくお願いします。 明日は水瓶座の満月です。 ヒーリングのお申し込みをお待ちしております。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 8月20日(火)水瓶座満月ヒーリング 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:ateli

友5

「人員整理」の初期の段階にいる人には、これはかなりの苦行です。 というのは今は調子を合わせないといけない人だらけでしょうから。 私も、「なんか誤解されてるなあ」とか「いい人だと思って利用されているなあ」としばしば感じる段階は経てきました。 この段階において、人との縁が切れる時はもう大変な心の出血量でした。 思い出したくもないレベルで辛かったです。 (相手の方々にとっても、思い出したくもない過去でしょう。) でも振り返ってみると、やはりそれは避けられないこと、現在時点に至るために経なければならないことだったと思います。 この試練を経て、本当の友だちに出会っていくことになるんですね。 言うまでもないことですが、試練はその後も何度か続くことになります。 その体験を通して、あなたはますます、あなた本来はどういう人であるか、という素直さに向かっていくことになるのです。 「片方で浅い付き合いをしながら、他方で深い友だちを求めることは出来ない」と先日お話したのはそのためです。 浅い付き合いが出来るのは、あなたが「本当の自分」にまだまだ疎いからです。 「本当の自分」に疎い人が、「本当の自分」を理解してくれる他者に出会えるはずがないではないですか。 これは恋愛や仕事のパートナーについても当て嵌まることだと思います。 だから本当に、人を責めては駄目なんです。 人を責めるのは、我が身を振り返ることを怠っている何よりの証拠です(自戒)。 人員整理の過程をいくらか進めてくると、依然として対人関係で揉める時は消耗するものの、痛みのより少ない形で人員整理をすることが出来るようになる…というのが私の仮説です。 経験がまだ不足しているので断言はできません。 が、そんな気がしています。 数年前にそのようなことがあった時、私は切れるべき縁の相手を遠ざけるためにきつい言葉を使わなくてはなりませんでした。 それは自分の未熟さ故のことで、どういう理由によってであれ、必要以上に相手を凹ませたことを残念に思っています。 でも最近久しぶりに似たことが起きた時、私は最小限の言葉で終わらせることが出来ました。 相手は悲しかったことでしょうが、それは相手が自然と感じる範囲内のことで、私がそのような感情に意図的に追いやったからではありません。 だから、少しは成長したかな、と思いました。 同様のことは今後も時々起きるのでしょ

友4

人生には明らかに波動の段階というものがあります。 一方では浅い友だちと付き合って、他方で深い友だちを求めるというのは不可能なのです。 つまり痛み苦しみを伴わずに前に進むことは出来ません。 素直になるためには必ず痛み苦しみが体験されます。 あなたが本当の姿を示した時、軽蔑したり冷笑したり余計なことを言う人は、この痛み苦しみの体験の実例です。 その痛み苦しみによって「だから本心は語らないことだ」と考えるのはもったいないことです。 「どうせ長続きしない縁の人が去っただけだ」と思って、ますます素直になっていくのが良いと思います。 本当の友だちが出来たとしても、人員整理はまだまだ続くのです。 「この人こそは本当の友だちだと言えそうだから、波風を立てないようにしよう」などと思ったら、その関係は終わりでしょう。 人生はいつも試練です。 「本当の友だちであるならば、この話もそのまま聞いてくれるに違いない」と思って打ち明ける時、それが本当の信頼になるのです。 私はいつもそうしていますし、その結果として、友だちに対する感謝と信頼は年々増しています。 しかしどこまで言っても、いつまで経っても、人間関係の問題は発生します。 それは時々やってくる自然災害のようなもの。 最近も、実はありました。 何事も代償があり、正負の両面があります。 例えば私が自分の苦しみや痛みを時々皆さまにもお伝えするのは、それが皆さまに何らかの形で参考になればと思うからです。 そして実際「聞けて良かった。カワベさんも頑張っているんですね。私も頑張ります」という反応を頂きます。 それこそ、私の願っていることです。 でも中には時々、私の悩みの対象や悩みそのものを即悪と考える人もいます。 もちろん、そう捉えるのもその人の自由です。 でも、私が付き合いたい相手ではありません。 こんな時、「また切らねばならんか」と憂鬱にはなるのですが、調子を合わせても仕方がないので切らせて頂きます。 前回(だったか?)「自然と切れます」とは言いましたが、切る決心は自分でしないといけません。 皆さまも、時にはばっさりといかがですか。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 8月17日(土)9時ー10時、瞑想会、1000円(オンラインのみ) 8月20日(火)水瓶座満月ヒーリング 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月

友3

人には度量というものがあります。 「こういうことだけは許されない」「絶対理解不能」というようなことがあります。 結論を言えばそういうものは全てこだわりです。 でも仕方ありません。 こだわりから一切無縁という境地は程遠いものです。 簡単に言えば、人それぞれ色々な理由や事情があり、理解不能なことでもせざるを得ないことがある…というのが現実です。 私も皆さまが聞いたらぎょっとするような話をいくつか持っていますよ。 でも私は自分自身がそうだから、他の人からその人自身にとって言うことが憚られるようなことを聞いても、眉一つ動かさないのです。 人間というのはそういうものだと知っているので。 中にはそうでない人もいますが…普通、苦しみの大きい人ほど他人の苦しみにも寛容なものです。 頼まれもしないのに助言をしたり嫌悪感を示したりはしないものですし、しったかぶった顔もしないものです。 すると、ここに人員整理の秘訣があるとも言えます。 もっとも、この人員整理は「誰を切る」ということを意識的にするのではありません。 勝手にそうなるのです。 あなたがあなたの等身大の喜怒哀楽を表現した時、諸々の形を通して拒否する人は、あなたの本当の友だちではありません。 これはテクニックの問題ではなく、波動の問題なのです。 波動的に合わない者同士は早晩分かれることになります。 私の考えでは、そういう分かれは早い方が良い。 というのは、無理に合わせている時間/期間というのは、後になって振り返ればただの時間と労力の無駄ですので(*家族はまた別問題。今は友だちの話)。 もしあなたが本当の友だちがほしいと望むのであれば、格好つけず、相手に調子を合わせず、取り繕わず、自分の等身大の喜怒哀楽や悩み苦しみ、全てのありようを表現することです。 それは「素直さ」という階段を登っていく(または下降していく)一段一段となり、その先に、本当の友だちとの出会いが待っているのです。 明日は瞑想会があります。 是非ご参加下さい。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 8月17日(土)9時ー10時、瞑想会、1000円(オンラインのみ) 8月20日(火)水瓶座満月ヒーリング 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 100

友2

本当の友だちというものは、自分を晒すという厳しい営みの結果、必然的な人員整理が行われることを通して得られるものだと思います。 この場合の「自分を晒す」というのは、無作為の人々に対してSNSで自分を晒すことを意味しません。 そうではなくて、今目の前にいる相手に対して自分の全てを打ち明けるというようなことです。 とても勇気のいることです。 私はヒーラー/カウンセラーとして皆さまに会いますが、「話を聞くのが仕事」の相手にさえ、自分の悩みや苦しみを打ち明けるのは難しいでしょう。 そもそも自分の中で整理がついておらず言葉に出来ないとか、問題認識以前の段階にいるということもあります。 「なんでも話していいんですよ」と言っている人の前でも言えないことを、「どうかな、言っていいかな」と思う人の前で言えるはずがありません。 そしてこのように心に鍵がかかっていると、本当の友だちと呼び得る人には会えないものなのです。 先日、別の方から「自分の本当に深い話をしたら、その人に去られた。それ以来、深いレベルの交流を恐れるようになった」という話を聞きました。 その体験自体は気の毒ですが、ここで二つ考えるべきことがあります。 1.どう捉えるかは相手の裁量。あなたが本心を語ることを止めてはいけない。 2.あなた自身はどうか? どんな重い話を聞いても受け止める度量があるか。 考えてみて下さい。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 8月17日(土)9時ー10時、瞑想会、1000円(オンラインのみ) 8月20日(火)水瓶座満月ヒーリング 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング 10000円 ③リモートカウンセリング 7000円 ④遠隔ヒーリング (お布施 、ビデオ通話も利用可) ヒーリングアクセサリー 「プレローマ」 36000円 【お問い合わせ下さい】 ①LINE:atelierkoshiki ②microcosmo.healing@gmail.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホームページ: https://www.microcosmo-healing.com/

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私は子供の頃、祖母の影響で花札が大好きでした。 で、花札から人生の初期の学びを得たのでした。 祖母はだいぶ崩れたルールで仲間内で花札をやっていたようなのですが、ともかく「さらし」というのがありました。 持ち札の全てが0点の札である場合、持ち札を、他の人が見えるように卓上に晒すのです。 リスクがある反面、最後に特別な加点を得ることが出来ます。 それで幼心に私は「弱みの全てを晒すことは力になる」ということを学んだのでした。 その学びが直接的に実を結んだとは思いませんが、私はとにかく自分を晒すことを覚えました。 もちろん相手は選びます。 誰彼構わず自分を晒すことは自分に大きな損害を与えることがしばしばなので、そういうことはしません。 この話をするのは、最近、「話せる友がいる/いない」という話題が続けざまに出たからです。 話せる友がいない人は、そのことで苦しさがあるようです。 私は話せる友に恵まれているので、何でも話すことが出来ます。 これは私の人生の中でも最大の恩恵の一つです。 もちろん、このような友だちとの関係にもルールがあります。 私もまた、友の話すことを何でも聞きます。 してもらうことを、当然相手にもします。 決して否定しません。 だから私も否定されないのです。 しかしそれだけでは充分ではありません。 「そうだね。分かるよ」と言うだけなら、その気になれば誰でも出来ます。 でもやはり心からの共感がそこになければ意味はないのです。 結局、自分と同等かそれ以上の苦しみを知る人にしか、自分の苦しみを分かち合うことは出来ないでしょう。 私と友だちの会話において、私たちは互いに決して相手を否定しませんが、必要があれば助言します。 でもそれは単に仲良しだから可能になっているという訳ではないんですよね。 そういう意味では馴れ合いではないです。 「いいなあ、そんな友だちがいて」と言われることが時々あるのですが、そんな友だちを作る、というか引き寄せる方法があるので、次回お話します。 今日もお読み下さりありがとうございました。 【スケジュール】 8月17日(土)9時ー10時、瞑想会、1000円(オンラインのみ) 8月20日(火)水瓶座満月ヒーリング 9月1日(日)☆アトリエこしき16周年 ☆ 9月3日(火)乙女座新月ヒーリング 【メニュー】 ①カウンセリング 10000円 ②ヒーリング